『LIVE』 Vol.24
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006006味わいが生まれるのだが、まだ味覚の経験が浅い子どもたちは、酸味を腐敗の味、苦味を毒の味と本能的に捉え、危険と考えてしまうのだ。つまり、無意識のうちにこれらの危険を避けようとして、強い酸味や苦味のある食べものを口にすると、吐き出そうとするのである。しかし、大人になって味覚が発達し、経験も増えてくると、苦味があっても適量であれば危険ではないということを理解し、さらに、苦味をおいしいとさえ思うようになる。 ある意味、ランニングもこれと同じなのだろう。走ることは確かに辛い。息が切れるし、足も痛む。しかし、その苦しさのなかには、味覚でいえば苦味のような、子どもの頃には気づかなかった魅力的な何かが潜んでおり、それが私たちを惹き付けるのではないかと思う。きっと、成長する過程で、私たちの心のなかには、ランニングという厳しい現実に反応し、共振し合うものが蓄積されているにちがいない。 自律神経のバランスを整える治療法として、「嫌なもの反射」という方法があるのをご存知だろうか。たとえば、梅干しやレモンを口に入れると唾液が出るのは、身体が酸味を嫌なものとして感知し、排泄を促す副交感神経の働きが反射的に高まるためだ。副交感神経は腸の働きを活発にする役割も持つので、酸っぱいものを口に入れて副交感神経が刺激されると、唾液が分泌されると同時に、腸の働きも盛んになる。こうして、体から「酸っぱいもの=嫌なもの」を追い出そうと、体内の臓器が一斉に動き出すのだ。これを「嫌なもの反射」と呼んでいる。嫌なものにはや、ランニングは単なるブームの域を超え、フィットネスの定番としておさまっている。2011年の東京マラソンは、過去最高の33万人超が応募。これは定員の9倍以上の数値で、過去最高の抽選倍率になる。 一体、ひとはなぜ走るのだろう。もう、あちこちで議論を尽くされたテーマだが、私はいまだに考える。私自身は決して熱心なランナーではなく、ときどきフィットネスクラブのランニングマシンで1時間ばかり走ったり、近所の緑道をスローペースでジョギングしたりするくらいのヘナチョコランナーだが、走ることは結構好きだ。子どもの頃は長距離走が本当に苦手で、体育の授業の前には「雨よ、降れ」といつも一心に祈っていた。だけど、大人になったらいつの間にか世間ではランニングブームが起こっていて、「そんなに楽しいの〜?」と半信半疑で走ってみたらこれが想像以上に気持ちよく、ランニング後の爽快感(と、その後のビール)を目の前のニンジンにして、今も時々走っているというわけだ。 子どもの頃に苦手だったものが、大人になると好きになるのはなぜだろう。走ることに限らず、昔は出来なかったことが大人になってできるようになったり、苦手だった食べものが好物になったりするのはよくあることだ。たとえば、ある調査によると子どもの嫌いな食べものの一位は断トツでピーマンらしい。その理由は圧倒的に「苦いから」。これは、学術的にみても納得のいく結果で、食べものの味は甘味、酸味、塩味、苦味を基本要素とし、これらが組み合わさることによって複雑なもは食べものだけではなく、精神的なものも含まれるという。たとえば、大きなショックを受けたときには吐き気がこみ上げ、もどしてしまうこともあるだろう。これは体が苦しい感情を身体の外へ追い出そうとしているのである。一部の医療機関では、自律神経のバランスを整えるためにこの作用を利用し、わざと体の一部へ刺激を与えることによって、体が本来持っている代謝機能走ったり、歩いたりすることの楽しさを言葉で理解するよりも、実際に身体で気持ちよさを感じよう。それこそ、「私たちはなぜ、走り、歩くのか」のこたえなのだ。わたしが走る、たったひとつの理由スタートラインは、いつも目の前にある文:鈴木博子 写真:アフロ
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