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005005 からだに“踊り”を、こころに “音楽に合わせてからだが踊れば、こころも躍る。そんな姿は見るひとに力を与え、やがて誰かのからだやこころをおどらせる。そうやって、世界にはダンスの輪が広がるのだ。自分自身のために、誰かのために文:鈴木博子いるのか、私は知らない。もしかしたら、踊っているのかもしれないし、もう止めてしまったのかもしれない。しかし、朝一番の彼女の笑顔にどれほど多くのひとが励まされたか、そして、たった一人でそうした活動を続ける彼女の行動力に、どれだけのひとが背中を押してもらったか、想像することは難しくない。メディアで彼女のことが取り上げられると、誰もが口々につぶやいた。「いったい、彼女はなんのために踊るのか?」。しかし、そんなことを理屈っぽく考えるまでもなく、少なくとも彼女のダンスにたくさんのひとが力をもらったという事実がある限り、彼女が踊った価値は充分にある。 ダンスには、見るひとを元気にする力がある。2011年の大震災後には、多くのダンサーが東北地方を訪れ、いきいきとしたダンスを披露して被災者の方々を勇気づけた。まさか、自分がそんな華麗なダンスを踊れるとは思わないが、躍動感あふれるダンスを見ていると、もしかしたら、自分の肉体にもそんな可能性が潜んでいるのかもしれないと思えてくる。音楽に合わせて気分がたちまち高揚し、体の内側からエネルギーがあふれてくるのを実感する。指先がテンポを刻み、体がリズムにのって左右に揺れる。まるで自分自身が踊っているかのような疑似体験は、ダンスの魅力のひとつだと思う。 ひとは、なぜ踊るのか。もともと、ダンスという言葉はドイツ語の「タンツ」、つまり「体を伸ばす」ということから来ているという。そう考えると、ダンスをすると体が軽やかになるのも理解できるし、心がすっきりするのも頷ける。しかし、ただ体や心が軽くなるだけなら別にジョギングだっていいし、スイミングだっていい。なぜ、ダンスが2万年前の旧石器時代から人類とともにあるのか、その存在理由が知りたくて、私も実際、踊ってみることにした。友人が主催するダンス教室にも参加したし、DVDを借りて深夜、ドタバタと部屋で踊ったりもした。 しかしやっぱり、どうしてもダンスには気恥ずかしさがつきまとう。鏡に写る自分の不格好な姿にうんざりし、「こんな姿は人様に見せられない」と思ったりする。この「恥ずかしい」という感覚がある限り、ダンスにどっぷり浸ることはできないし、心の底からの楽しさも得られない。そう感じるのは、きっと私だけではないはずだ。 だが、あきらめずに繰り返し踊るうち、気がついた。踊り続け、ある一線を越えてしまうと、途端にそんな恥ずかしさなんてどうでもよくなってくるのだ。気持ちよさを第一優先にして、腕を伸ばし、脚を振り上げ、体を揺らす。多少、テンポからはずれてもお構いなしだ。するとそのうち、「ダンスとはカッコイイもの」「カッコ良く踊らなければいけないもの」という固定観念が取り除かれ、「踊るって気持ちいい」、この感覚しか残らなくなってくる。それはもう理屈ではない本能的な感覚で、何も考えず、対岸にある心地よさを手にするために思い切って川を飛び越えてしまえば、もう、恥ずかしさはあとを追って来ないのだ。 私にダンスを躊躇させていたものは、踊っているときに感じる居心地の悪さだった。なんだかどうもしっくりこない、落ち着きが悪い、ひとの目が気になる、だからダンスに入り込めない。しかし、こうした居心地の悪さを感じるのは、「今、踊っているのは本来の『私』ではない」という感覚があるからで、「これも私」と認めてしまえばたちまちおさまりが良くなる。普段の私も「私」、会社での私も「私」、家庭での私も「私」、踊っている私も「私」、みんな、同じ「私」なのだ。 私は私のままでいい。ありのままでいい。何も飾らなくていい。そのままでいい。踊れば踊るたび、そんな声が聴こえてくる。思考がどんどんシンプルになり、耳には音楽しか入ってこない。そして、音楽に合わせて体が〝踊〞れば、やがて心も〝躍〞り出す。〝踊る〞と〝躍る〞。その二つが結びつき、心身が元気いっぱい躍動を始めるのがダンスなのだ。 冒頭のチアガールは、こんなことも言っている。「だから私は、自分らしい方法で誰かをハッピーにするために、ばかばかしいとは思いながら、毎朝ここで日本のビジネスマンを応援することに決めました。今日ここで私を見かけたみなさんが、ちょっとだけ勇気を出して上司に何か言ってやろうとか、大事なひとに言えなかった言葉をもう一度伝えようとか、そんなエネルギーになりたいと思っています!」 生きていれば辛いことだって悲しいことだって、たくさんある。だけど、自分が元気でなければ、ひとを元気づけることなんてできるわけがない。だから、まずは自分を受け入れることから始めよう。ダンスで体と心に躍動を呼び戻そう。たったひとり、新宿の雑踏のなかでダンスを披露し続けた彼女の、そんな懸命で一途な不器用さが見るひとの足を止め、心をつかんだのだ。心が躍れば、体も踊る。それはやがて、誰かの心や体をオドらせる。そんなダンスを、まずは自分自身のために、そして、いつかは誰かのために踊ってみたいと思えてきた。(参考 MSN産経ニュース)

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