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再開して、フィットネスの良さを広げていけたらと思っています。冨田夕子さん宮城県気仙沼市震災前は週23本のレッスンをしていました。その仕事をしていた場所のうち、4ヶ所以外は壊滅状態。私の場合は、自宅は気仙....

再開して、フィットネスの良さを広げていけたらと思っています。冨田夕子さん宮城県気仙沼市震災前は週23本のレッスンをしていました。その仕事をしていた場所のうち、4ヶ所以外は壊滅状態。私の場合は、自宅は気仙沼にあるものの、津波の被害を直接受けなかったことから、震災の次の日から支援物資を運んだり、以前からの顔見知りの方がいる避難所で体操やストレッチをする活動を始めました。5月からは臨時職員として悠悠館という奥州市の健康増進施設でレッスンもさせていただいています。イベントや介護予防教室など単発の仕事をすることにも理解をいただくことができ、以前からのお客様との繋がりも取り戻すことができつつあります。残った4ヶ所のレッスンも復旧しました。6ヶ月経った今は、諦めの境地にいます。その分、今あるもの、できることに感謝の気持ちでいっぱいです。特にフィットネスは、自分の身体さえあれば続けられる。インストラクターという仕事もそうですが、メンバーさんでも、家や仕事がなくなっても、元気な身体があれば、支えあい、励ましあって頑張れる。そういう方々とフィットネスで繋がれることは、とても心強いことです。震災を経験して改めて人と人との繋がりの大切さを感じました。名刺や肩書きがなくても、人との繋がりがあって、身体があれば、何もなくてもインストラクターとして人の役に立てる活動が始められる。行政や企業との関係以上に、人ひとりひとりとのつながりの大切さを実感しました。「あの体操の人が来てくれたから、少し身体動かそうか」。避難所でもそういうふうに思っていただくことができたことは良かったと思っています。気仙沼では、まだ普通に戻ることも望めない状況が続いていますが、せっかく生き残った身体を大事にして、人との繋がりに感謝しながら仕事を続けていくことが、せめてもの恩返しになると感じています。西野知香さん宮城県仙台市以前から、仙台と横浜間で週の半分ずつ仕事をしていました。4月下旬に入って新幹線が復旧し、私は生活においても以前と変わらない状況に戻っています。震災後チャリティイベントに協力することも多く、そのたびに、多くの方々から励ましの声や、やさしい気持ちを貰えることに、本当に元気づけられてきました。震災以降、自分は支えられていることを実感。人を思い遣る気持ちがとても強くなり、「人は支え合って生きている」ということを感じています。仙台市や近郊にお住いのインストラクターの仕事状況は、6ヶ月経った今は幸い、ほぼ以前通りになったように思います。代行を立てなければならない時は、インストラクター同士で、まだ仕事本数が戻っていないインストラクターの方に優先的にお願いするようにしています。メンバーさんも徐々に元気や笑顔が戻ってきました。クラブやレッスンに対してのご要望やご意見をいただくようになったことにも、いつも通りに近づいていることを感じています。このご要望やご意見が、今ではありがたくとても嬉しく思います。フリーインストラクターとしての働き方はさまざまで、フィーや待遇の関係で、民間フィットネスクラブから自治体の仕事やサークルの仕事へと徐々に比重を増やす人が増えています。で菊地久美子さん宮城県気仙沼市家は大丈夫だったもの、車や親せきをなくし、毎日泣いていた時期もありました。自宅は気仙沼の海外付近ですが、高台にあったため床下浸水したものの、流されることはありませんでした。ライフラインの復旧にも時間がかかり、震災後1ヶ月は避難所で暮らし、槇で火を起こしてご飯を作る生活でした。電気が通ったのが4月末、水道が6月中旬、電話が通ったのは9月下旬になってようやくです。仕事は6月から隣の市の登米市中田町にある総合型スポーツクラブ「パティオ」で始められましたが、気仙沼には民間クラブは少なく、活動の中心になっていた体育館や公民館、学校なども津波の被害を受けたり、避難所になっていました。震災から6ヶ月が経って、施設は本来の機能を取り戻しつつありますが、人々の生活は、ようやく仮設などで新たな生活に入った段階で、まだ避難所生活が続いている方々もいる状況ですので、人々の気持ちが以前のようにフィットネスができる環境になるまでは時間がかかりそうです。また、私にとってインストラクターの出発点だった、市内の南気仙沼小学校の体育館が壊滅的被害に遭い、その体育館も小学校の再開の目途も立たないことは、寂しく思います。インストラクターをやっていて良かったと思ったことは、本当に多くの方から心配のメールや電話をいただいたことです。本当に嬉しかったです。また、支援物資は何もかも本当にありがたかったです。津波で何もなかったので、送っていただいた一つひとつ、すべてがありがたかったです。近くの集会場や、今後人が集まれる場所が使えるようになるのに合わせて、徐々にでもインストラクターの活動を畠山洋子さん宮城県気仙沼市津波で床上浸水したことから、震災後1ヶ月半は家のドロ出しに追われました。食事は近くの学校などで炊き出しをしてくれてあまり不自由はありませんでしたが、電気や水道が戻るまでの2ヶ月間は、現実なのか夢なのかと、目の前の状況が信じられないと感じることもしばしばありました。仕事は仲間のインストラクターからの紹介で、自治体の仕事などに震災後3ヶ月くらいで携わることができました。思いの外早く仕事が再開できたので、気持ちも張っていたのですが、生活が元通りに近づいた4ヶ月目くらいで、一度心が急に落ち込みました。その間エアロもヨガもやらなくなっていたので、体力もなくなり、肩こりや腰痛、ストレスも溜まる一方で、精神的におかしくなりそうになりました。そこから救われたのは、家族や仲間の存在です。家族はいてくれるだけでありがたいと感じましたし、仕事もあること自体が本当にありがたく感じました。フィットネスの仕事は、しているだけで体力がつきます。また、人の役に立てる仕事なので「必ず復帰するんだ」という強い気持ちを持ち続けられたことも、辛い時期を乗り越える原動力になりました。フィットネスができない体験をしたことで「やっぱりやりたい!やっぱりフィットネスは大切だ!」と確認できました。日本はフィットネスを通じて1つのチームのように繋がっていると感じます。フィットネス業界の人は、これからもどこかで何かがあったら、絶対行動を起こすと思います。そしてどんな状況でも、人の役に立てる役割を果たせる気がしています。被災地で頑張るフィットネス関係者の今被災地で頑張る24November,2011 www.fitnessjob.jp